Web制作を本業にすることをやめた経緯

さあさあ年末という実感がしませんが、そういう時間なので書いていこうかと。

Web制作を始めたきっかけ

当時は大学の事務をやっていたんですが、なんかうまく行かないな、向いてないな、つまらないな、このまま続けると病気になるなと思って辞めることにしました。次はどうしようかなと悩んでいるうちに、職業辞典みたいな本に出会います。パラパラと眺めていると、Webデザイナーが目に留まりました。

PC触る機会も多かったし、それほど電子機器に抵抗があるわけでもなかったので、目指すのもいかなと思って、1冊の本を買ってサイトを作る学習を始めました。これが一番最初のスタートですね。

サイトを作ってみると、純粋に楽しかったです。エディタはSublime Textだったと思います。なんだかとても懐かしいです笑。当時はこんな世界があるのかと思ったくらいです。

1社目にアルバイトで入社

27歳で業界未経験で応募して受かるとは思っていませんでした。当時はポートフォリオなんてなかったですしね。数冊の本で少し学習した程度の自分なんかがと思いましたが、ほんとにラッキーでした。

業務は主にサイトの運用・保守です。既存サイトのお知らせを作って更新したり、既存ページのフォーマットをもとに新規ページを作ったり、画像やリンクを差し替えたり、そんな業務がメインでしたね。更新日時が明確に定められているので、気をつけるべきポイントですね。

で、それらのことをだいたい2年くらい続けていると、飽きてくるわけですね笑。同じことを続けてると飽きるんですよね。実際に本で学習していたことは役に立ちましたが、自分のイメージしていた、デザインしてコード書いてサイトを完成させていくこととはかけ離れていたため、なんかなと思っていたわけです。

当時の会社はデザイナーとコーダーは分業制でした。自分はコーダーに進みたいなと思っていたので、そこに異動できるように色々やりましたが何年経っても今の立場からは抜け出すことができませんでしたね。

時間が経つうちに正社員になることはできましたが、もやもやが残るわけです。なぜか今後はディレクターの方向に進むよう促されるわけですね。今の自分なら理解できますし、ディレクターの道に進むことを承諾したと思います。でも当時の自分は、実務でデザインもやったことない、コードを書いてサイトも作ったこともない、運用・保守をした立場でディレクターなんかできるのかと。そういう思いがあったので、過去の先輩方のサイトの模写や自主制作、ポートフォリオの準備を進めつつ、転職も視野に入れて動き出していました。

でも実質未経験な状態なので、転職って厳しいんですよね。3社ほど受けましたが、どこもダメでしたね。そういう活動をしている期間が2年くらいありましたね。気づけば入社して5年が経っていました。

その頃になると、先輩方が作っているサイトはだいたい作れるレベルにはなっていたんですよね。スピードはまだまだですが、なんとか形にすることはできていたわけです。たまにアドバイスもいただけて、本当に助かりました。

で、この頃になるとWeb制作のスクール界隈が飽和状態なくらい盛り上がっていたんですよね。

そこで転職は諦めて、スクールで学んで人脈も作りつつ、フリーランスを目指した方がいいんじゃないかという考えに至ります。

一度決めたら行動が早いので、早速退職してスクールで学ぶことになります。

スクール時代

Web制作の一連の流れや独立する上での準備などを体系的に学べるスクールを受講しました。期間は半年くらいでオンラインスクールです。

書籍や実務である程度経験値があったため、なんとかついていくことができました。学ぶたびにこんな深いところまで考えてやってるんだというところに、毎回驚かされていましたね。

このスクールを通して、これまでデザインに対しての苦手意識があったのですが、それも無くなりましたし、ディレクターの重要性も理解できました。もちろんコーダーでの学びも数多くありました。そして何よりクライアントの想いに応えるためにチームで動いていくことがいかに大変か思い知らされましたね笑。

いろんな思い出が蘇ってきますが、このスクールで一緒に頑張れる仲間ができたことはとても大きかったです。実際にリアルで会う機会もありましたし。それぞれ目指していることが違うのもまたおもしろいです。

仲間同士でお仕事したりすることもありました。これもスクールのよさですよね。悩んだ時はいつでも相談できる環境もグッドです。

フリーランス時代

スクール期間中に独立するわけですが、まあまあ苦労しました。

最初は仕事なんてそんなもらえないものだと思っていたので、週2くらいで別のアルバイトもしつつ、始めようと計画を立てました。

最初はスクール仲間からのお仕事が中心でした。もちろんそれだけでは食べていけないので、新たな仕事を見つけなくてはなりません。当時はクラウドソーシング的なサイトがいっぱいあったわけです。そこから自分ができそうなものを探して応募していました。

幸いなことに、業務委託で週4前後で入れる求人に採用いただけました。いろんな苦労がありましたが、一緒にアサインされている先輩のメンバーにアドバイスをいただきながら、なんとかついていけました。

しばらくは業務委託、スクール仲間、アルバイトの3つのお仕事で生計を立てていましたが、ここでまた欲が出てくるわけです笑。コードを書いてサイトを作っていく経験はできてていいんですが、環境構築してコードを書いてみたいと思うわけです。実際の案件では環境構築を伴わないで納品することしか経験できませんでしたので。そこでフロントエンドエンジニアというところに興味を持っていくわけです。

転職活動開始ですね。自分のポートフォリオはバリバリ環境構築して作っていましたので、これを活用してしてやっていったわけです。会社によっては課題が課せられるところもあるので、自分ができる範囲で頑張りました。未知のことに取り組むのは本当に大変ですね。睡眠時間を削って頑張った思い出があります笑。

見習いエンジニア時代

さあ、いよいよスタートです!個人事業主の廃業手続きも終え、錚々たる顔ぶれのメンバーに囲まれながら、頑張るぞと思い立ち、気持ちを引き締めます。そこではフルリモート勤務でした。

ところが、いざスタートしてみるとボロがどんどん出始めるわけですね笑。要は自分は一応サイトは作った経験はあるけど、エンジニア同士でGitを使ってやり取りしたり、readmeを見て環境構築をしていくなどの経験が皆無なわけですね。さらにバージョンによってうまくいくいかないもあったりするわけです。さらにさらにフルリモートです。初っ端から迷惑をかけっぱなしです。ほんと申し訳ないなと思いました。コードを書く以前の問題ですね。そういう細かいことがうまくいかず本当に苦労しました。

いざコードを書けるってなった時でも、見た瞬間「ん!?わからん!」ってなるわけです。やべえ入るとこ間違えたんじゃないかって思いましたね(本当に申し訳ないです)。でもそのくらい自分が全然ダメなんだって思い知らされたわけです。業務が終わってからは、ひたすら追いつけるようにいろんな学習を進めるわけですね。ですが、やってもやっても頭に入っていきませんでした。理解もできませんでした。なんかこれが自分の限界なのかなと次第に思ってくるわけです。

いろいろ書きましたが、お仕事は見習いの肩書き以上に任せてもらえました。「え?ここまで自分がやっていいの?」ってところまでやっていた記憶があります。すごくありがたい環境でした。その代わり責任はすごく重くなりますが。失敗をして落ち込んでいる時でも、メンバーで励ましあう文化も根付いていてとてもいい環境だなと思います。

社内で導入している各ツールにも驚かされましたし、依頼されたお仕事だけでなく、社内の改善や広報活動にも時間を割いていることにも驚かされました。その分やることと考えることは多くなりますが、それだけやらないと第1線で活躍し続けることは難しいことなのだと痛感しましたね。

仕事って時間が経つと慣れてくるものですよね。もちろん最初はダメダメだったコミュニケーションなどは徐々にですが、改善されてきました。ただ、先ほども書きましたが、いつまで経ってもフレームワークやトレンドの言語とかを学んでも全然頭に入らなくなったんですよね。で、相変わらず多くのミスをし続けます。だんだんコードを書いていても楽しくなくなってきました。公にしているSNSでもネガティブな投稿が多くなってくるわけですね(本当申し訳ないです)。

そんなことが続いていくと、最初に持っていたやる気が次第になくなっていくわけです。周りのメンバーのクライアントのためにいいものを作ろうという熱意にもついていけなくなっていきます。本当に悪循環ですね。

で、そんな日々が長く続くとどうなると思いますか?病気になるわけです。当時はインフルエンザにかかったわけですが、これは落ち込んでいたこともかかった要因にあると思っています。この時は自分にとっては正直かなり無謀な案件を担当していたと思っています。それと体調のダブルパンチでインフルになったのかなと。本当にこの時はご迷惑をおかけしました。

で、この時に自分の中で決めたわけです。この次に何か大きな失敗をしたら自分から辞めようと。これ以上会社に迷惑をかけるわけにもいかないので。会社は社員を簡単に首にすることはできないとわかっていますし、自分が成長するまで何度失敗をしてもサポートしていただけることもわかっています。何度も叱咤激励を受けることもあり、自分なりに頑張ってはきましたが、さすがにこれ以上は迷惑をかけられないと。これ以上は会社のイメージに影響してしまうなと思って決意しました。

そしてそんな経たないうちに失敗してしまうわけですね。内容は伏せますが、直接画面越しでお叱りを受けることくらいのことをやらかしました。で、もうこれ以上は続けられないなと思って、退職することになるわけです。

本当はもっと続けてみたかったという思いもありました。もったいないという思いもありました。でも、メンタルもボロボロですし、身体も不健康でしたので、これ以上続けたら本当に病気になると思ったので、これ以上は続けられないなという決断でした。

で、話は少し変わりますが、SNSって難しいなって思います。特に会社の名前を背負って載せている場合ですね。自分の中では別に会社をディスった発言はしていないつもりでも、少しでもネガティブなことを書くと、それがマイナスイメージにつながるわけです。また適切な文章を投稿しないと、勘違いされた解釈をされてしまったり。自由に発言できるSNSはどこにいったのかなと、ふと思います。会社を掲げると結局ポジティブなことしか発言できないんですね。これが自分はなんか印象操作しているようで怖いです。表も裏も見せていった方がよくないですか?と思うわけです。別に苦労してても乗り越えたことを伝えればよくないですかと思うわけです。そんな制約の中やっていくのが本当に辛かったですね。

退職後は、フォローを外されてしまいました。円満退社ではなかったので、そうですよね。ちょっと辛かったですが、自分もこれをきっかけにメンバー皆さんのフォローを外しました。今後どこかでお会いするかはわかりませんが、たぶんそういうことなのだと思います。良好な関係性を続けることって難しいですね。

この退職をきっかけに、自分の中でフロントエンドエンジニアとして生きることに諦めがつきました。そういう気づきを与えていただきありがとうございます。

ただ、今までの経験はとても生きています。これは失敗ではありません。こういう気づきから次に自分がどう生きるかのきっかけを与えてくれました。Web制作を本業にしなくても、この一連のサイト制作ができるようになった経験は、必ず今後に生きます。身近な人の助けになれたり、自分でこういうの作りたいなって思った時に作る。そんな感じが今の自分には合ってます。

ってことで、長々書きましたが、結局その時にやりたいと思って生きることは正解なんだと思います。やってみて、気づいて、また次へ。その繰り返しが人生なのではないでしょうか。

ではでは。